| 『有機農業を広げ、世の中を耕そう』という団体に出会って
22年前、東城さんは2人目の子育て中でした。重症のアトピーの子どもを持つ友人に誘われて、無農薬野菜の共同購入を始めました。その後、縁あって、自然食品の店でアルバイト。その店で、「有機農業を広げよう」というテーマの下に設立された団体に出会います。「『世の中を良くしよう、耕そう』という考え方に共鳴し、無農薬野菜を売る八百屋をしようと思い立ったんです。面白い生き方ができる、と思いました。人のため、世の中のために良い仕事。自分の考えていることが毎日生かせて、安全でおいしい物を売って、自分たちも食べていけるって。30代半ばの自分の気持ちにぴったり合ったんですね。」
トラックに野菜を積んで
夫も賛同し、会社を辞めました。とにかくお金をかけずに始めようと150万円でトラックを買い、野菜を積んで行商(曳き売りという)すること1年間。当時、東城さんが熱心に取り組んでいた地域の文庫活動で知り合ったお母さんたちの中に、食の安全性や環境問題に関心の高い人たちがたくさんいたのです。「その方たちの家の前やお子さんの幼稚園をポイントに回っていました。ちょうど、公害や添加物の問題が出てきて、産直運動などが盛んな時期だったんです。かなり広い範囲を回っていましたよ。」
店舗の決め手は「北向き」
1989年7月、東城さん夫婦は、最寄りの2つの駅から、徒歩10分ぐらい、大きなスーパーへの通り道に【ぱんぷきん】を開店しました。「この場所には偶然出会いましたが、北向きだったことが一番の決め手でした。野菜を並べるので、日当たりがよくては困るのです。」店の内装にもお金はかけず、棚や台は友人の手作りで。夫はトラックでの販売を続け、店は東城さんが一手に引き受けました。「野菜だけではなく、石鹸など環境にやさしいものも売るようになりました。私が読んで勉強になった本などを自由に読めるように置いたり、子連れのお客さんのために絵本や積み木を置いたりもしました。」
人生で最悪の時期
子どもは学童・保育所に預け、朝から晩まで忙しい毎日が続きます。ところが、開店してから5年後、夫が過労で倒れ、他界してしまったのです。「私の人生で最悪の時期でした。でも、店を閉めようとは思わなかった。独りで子どもを育てていかなければならないのですから。」配達のために40歳にして運転免許を取得。「以前していた文庫活動の仲間たちに支えられて、つらい時期を乗り越えることができました。」
 生産者と消費者の間で悩みながら
この3〜4年、新しいお客さんがあまり増えず、また、離れていくお客さんも多いといいます。「無農薬有機栽培の野菜・お米は本当においしいのです。しかし、生産に手間がかかるので、価格は少し高めになります。販売方法や店のあり方など、もっと努力しなければと思っています。」
閉店の危機を乗り越えて
実は、昨年末、東城さんは一度、お店を閉める決心をしました。店の経営が厳しいことに加え、年齢による体力の衰えを感じたことなどが原因でした。しかし、志をひとつにした仲間たちと話し合いを重ね、生産者と消費者との接点である店の存在意義を再確認し、続ける決心をしたのです。「私にとって、必要な時間だったのかもしれません。今は、気持ちはさわやかです。これからは、まず、お店を維持していくことが第一。そのために、チラシやDMで発信する。そして、料理が大好きなので、お惣菜を作って売ったり、野菜を食べてもらうための料理講習をしたい。これにはぜひ仲間がほしいです。お店の一角に貸しスペースを作って、手作り品を売ったり、また、カフェコーナーも作りたいです。いろいろ大変なことも多いのですが、この仕事をしようという人がたくさん出てきてほしいですね。」
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